Music over the World

日常の記録を書いてます。

2018 4月-8月 リゾートバイトの話。(最終更新日 2018.12.28)

 

 

※最終更新日 2018.12.28の時点から修正・追記なしでの公開記事です。

 

 

 

3ヶ月間、、ではなく5ヶ月間、、結局2018年のお話を書かせていただきます。当初の予定では、1番最初の勤務地にて3ヶ月ほどの6月末までお世話になる予定でした。最終的な結果として3件の場所で8月末までの計5ヶ月間のリゾートバイトの経験をさせていただきました。

 

 

1件目。【千葉県】

新年の日の出が1番に拝めるという観光地でのスパホテル内の、ホール勤務。

 

表面から見ればラグジュアリーさすら感じるスパホテルです。

裏面から見た職場。職場の皆さんは、すごく切羽詰まっていて冷淡な表情と感情を感じて勤務前後や表と裏で人柄が違う。海外の方を住み込みをさせてまで雇っていること。誰が同じ場所で暮らしているのかわからない。お客様の入り状況の波が激しい。罰ゲームと感じるほどの熱さのものを保温庫から取り出す。責任者は勤務中に試飲レベルではない量のお酒を飲んでいる。

 

わからないこと、用語だらけで復習をしていたら夜中の3時。好かない慣れない格好に、窮屈な靴。準備するのに5時起き、6時勤務開始。仕事が始まってみれば、また新しい形態の現場と初めて見る人達。どんどん肩身が狭くなっていた。

 

絶対に私のこと嫌ってるし見るからに嫌がらせかのような対応してるよね、というようなキッツイお局様まで登場した。わかっているのに上手くかわすことができない自分が本当に悔しかった。初めての飲食での現場だったので、コレが普通なのか?耐えることが普通なのか?、、と思ってしまった。

 

注意されて、それを改善しようと行動した次の日。勤務開始から1週間後。私のところだけシフトが書かれていなかった。冷たい対応をされているように感じていた内の1人の方が、「シフトがギリギリなのはいつものことだけど、この状況はあっちが悪いから」って電話をお貸しいただいたき、私の味方側になってくださいました。結局、責任者は電話には出ませんでした。

 

誰よりも早く始業して責任者から直接お話を伺うつもりでした。おはようございます、とお声かけした直後、もう今日から来なくていいからと返答されました。

 

まさかそんなことがあるんだ、そんな方法があったんだ、と思いもしていなかった返答でした。直感的に瞬間的に、短い間でしたがありがとうございましたと返事をしました。

 

精神的にボロボロでした。あの時は、必要とされないこと、能力がないこと。日本語が片言な子たちよりもこなすことができない私。地獄に突き落とされたような気持ちになりました。

 

半日くらいは呼吸がおかしくなり、涙と怒りが止まりませんでした。大きな蟻の幻覚が見えるようになりました。その夜には私の名前は完全に無くなっていました。どこまで冷淡で、どキツい人達なんだって思いました。

 

いよいよ出て行く時間が近づいていた時に、希望の日に休みにならなかった、との会話が聞こえてきました。どうにでも社畜に付き合わせる。いつでも入れる時ない?と近くに住む主婦パートさんを大量に雇っている雰囲気。効率の悪い作業。どんなに思い当たっても、どこまでブラックなんだ。

 

ここに着く前に、一度断られて、世間知らずで心が弱かった私は泣きにも縋り付いて就かせていただいた現場でした。それを思い返せば、挑戦する前から私にとっては門前払いは当然の判断であり難しい現場だったのかなと。この現場から一刻も早く逃げ出すことができてよかったと心から思いました。このタイミングで抜け出させていただいていなかったら、その先の自分、今の自分はいなかったから。

 

心配して声をかけてくれた当時の職場の方々。見かねた私に対して期待を持って、頑張ってねと笑顔で励ましの言葉を言ってくださったお客様方。せっかくの特別の日を、私が関わったことで不快な気持ちにさせてしまって申し訳ございませんでした。。

 

それでも、今は挑戦させていただく機会、地獄に突き落とされたような気持ちにさせていただいてありがとうございました。と感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。お元気で。

 

 

2件目。【山梨県

比較的、若くて元気のある方々と同時スタートで集合。バブル時代に栄えた観光地、その中でもソフトクリームが有名な場所。

テイクアウト型のカフェでの念願のレジ業務。簡単な調理補助。にゴールデンウィークを期間に就かせていただきました。

 

ここの職場の社員さん方は、朝から夜まで表裏を感じさせない一定で安定的な高すぎる元気なテンション。30代前後に見える責任者の方はマスコットキャラクターかのように緩くてほんわかした雰囲気の穏やかな方でした。

 

1件目の勤務から1週間とちょっと後で完全に自信喪失と人間不信に陥っていたので、表では愛想が良くても裏では色々文句を持っているのかなと。また満了できないんだろうなと毎日ビビりながら気を抜かないようにこなしました。

 

結果としては、めちゃくちゃ楽しかった上に初めて温厚にも期間満了しました。たくさんご迷惑をおかけしたのにイヤな気持ちを感じないほどに優しくて明るい方々が集まる職場だと思いました。ただ、長く住み込むのにはキツい住環境でした。

 

同じように勤務をスタートさせた女の子がいました。その子は、レジ業務が丁寧と賞賛されていて悔しかった。私のレジ業務は、とにかく早くこなさないとって思いが強すぎて、ガッシャンガッシャンしているので当然なのですが。本当に悔しかった。

 

その1ヶ月後くらいに私自身、初めての試みをしました。人間の記憶ってこんなにも儚いものなのかと思わされました。純粋に楽しい思い出の気持ちから、またここに戻ってきたいという気持ちは一瞬にして消えてなくなりました。向かっている途中、あれ私こんな人じゃなかったのに…ってなりました。帰り道には、何を期待していたんだろうって自分がバカみたいだった。

 

 

3件目。【山梨県②】

2件目と同じ観光地にて。森を挟んだ向こう側の道なだけなのに見える景色、感じる自然は全く違った。強面な支配人さんが、怪訝な顔をして迎えに来てくれました。

2件目の職場は、家族団欒というような雰囲気でした。当初の言い表すことができる表現としては。まさか職場の皆さんと勤務後に朝と夜にご飯を食べるだなんて、、思ってもいなかった。

 

仕事内容としては、野外学習で訪れる小・中学生、1番幼くて幼稚園生の子たちのセッティングと片付け。初勤務で任されたことが、ほんとにこの“作業”でそんなに時給もらってもいいの…?が正直な感想です。ルーティン化してくると、目が回ってきますが。。

に加えて、一般のお客様の懐石のセッティング、バイキング、宴会があることまで聞かされていなかった。4月の時のトラウマが蘇りました。

 

人間関係としては、少人数規模で一緒にご飯を食べたり住んでる人が全員わかる上に。かなり歳の離れた方々ばかりなので共通の話がないので、どうしてもプライベートが混ざってしまうんですよね。

 

こんなにも1人の人間として扱われたり、人間的な感想を言われたことは初めてでした。急にたくさんに私自身の感想を投げかけられて、私って一体誰なんだろうってなりました。

 

1人、サバサバしてて突き放すような言葉を投げかけてくる女性のパートさんがいました。責任者の方にキツいから気をつけて、なんて言われていました。1ヶ月経った頃に初めて名前で呼んでもらえました。あの時の喜びは計り知れないほどに嬉しかったです。

風邪気味になった時は、軽い朝ごはんを持ってきてくださって。。長く勤める中で最年少の方に、今までそんな優しくしてる所は見たことがないって言われました。

 

6月中旬ごろに、責任者に人手不足なのでと夏までの継続をお願いされました。その時は、まだ楽しい気持ちがあったこと、まだまだ成長できる自分を感じたので、(何よりも自分都合に)、8月下旬までの継続を決めさせていただきました。まだその頃の自分は、職場の皆さんと同レベルの低レベルだったのかなって思います。

 

7月下旬。毎年ヘルプで来ているという3歳上のお姉さんとお兄さん。1つ2つ歳下の男の子2人。のヘルプの方と勤務を共にさせていただきました。楽しい記憶が作られていくと同時に、3件目の勤務地に対する思いは劇的に変化してしまいました。

 

ヘルプに“来てもらっている”から注意することができない、上手く事が進まない、、全てのストレスを責任者は最年少に当たる私に対してぶつけてきました。現場を見たこともない、職場でひっくり返っているような人に愚痴をこぼしている修羅場を目撃しました。全部聞こえてますよ、って

 

こちらからごめんなので、って感じでした。

愚痴に溢れている話が、私に置き換えているだけで全て自分自身(責任者自身)のことを言ってるだけな話で本当に呆れました。

 

真面目に働いている人をバカにする。本当に本当に許せません。

 

爆発し狂い立ち、人間が豹変した責任者。4月と比べて精神が強くなってしまった私にとって、もはやその姿は面白かったです。私の親よりも歳を取っているはずなのに、痛々しいほどの狂いようで。

 

私がセッティングしたものに対してだけに一々、パートの女性の方を通じて文句と反省を促して。

 

 

この3件の勤務先を経験して、働いている人達の姿をよく見れるようになったり、見えるものが増えたり。私自身だったなら、間違いなくクビにされているような接客をしている人は山のように存在する。逆に、一生辿り着けないような思わず目を輝かせてしまう接客をする方もいらっしゃる。なぜ私だけこんなにも細かな注文をつけられないといなかったんでしょうか?

 

1番に言葉数が多かった、3件目の7月下旬から8月末までの1ヶ月間と比べたらコミュニケーション能力は落ちてしまいましたが4月の時、それより以前を思い返せば

 

何よりも、私より若いヘルプの子を目の前に物に当たって、その子と洗い物をしていたところに皿を投げ込んで割ったこと。

 

反省文を書いてこい、と2日間ほど寮に監禁されました。何に対して反省するんですか?の質問に、皆んなにだよ とお答えいただいたことにヒントに皆さん一人一人に文章を書かせていただきました。

 

弱者、年齢、人によって態度を変える。本当に本当に最低だと思います。何度かご飯連れて行ってもらったり奢っていただきましたが。奢ってやっただろ?優しくしてやっただろ?それに対しての返上を求めて、従えと促していたならば私は本当に許しません。それとこれは別です。

 

この時の私の精神は、4月と比べてすっかり強いものになっていました。2日間、何も口に含まずに書きました。

 

ヘルプの方々の勤務が終わって、残り3日間。一緒に働く人を選ぶ大切さを学びました。時間の経過の仕方が圧倒的に違う。

 

その場に居ない人の愚痴や陰口をいう。これがリアルな人間社会なのかもしれませんがドン引きしました。

こんなんで、その歳まで生きていけるんだ

なんだかんだ生きていけてしまうんだな

そう思いました。

 

本心じゃないのなら言わないで欲しい。思い通りに事が進まないなら辞めればいい。自分自身で動き出せばいい。それができないなら、いくら自我自賛に優秀であったとしても私も同類だと思う。同じになって愚痴をこぼしている限り同レベル。私はそんな大人にはなりたくない。

 

しかし、それを私はSNSでやっていました。全く関係のない同じ趣味が好きな子たちにそんな姿をイヤでも目に入れさせてしまったこと。私はあの人たちと同罪で同レベルのことをやっていたと思う。だから趣味垢用のツイッターを辞めた。内の、1つの理由。

 

離れる最後のご挨拶の時に、またお会いしたいですって言ってしまったことを覚えています。2度と訪れることはないでしょう。何をそんなにも縋り付いていたんだろうと振り返るばかりです。ただただ、末永くお元気でと願っています。

 

これは、こちらに関わっている方に届いて欲しいような気もします。もう2度と関わることはないので私にとってはなんでもない話です。

 

リゾートバイトに興味があって、こちらの記事にたどり着いて読んでいただいているなら

これは就いた勤務地、

どこの勤務地にしろお金が貯まるのは事実です。

出会い関わる人や職場環境は人生に影響するので、しっかりと派遣会社の担当者の方からお話を聞いて選んでください。

 

趣味垢のツイッターを削除する。

昨年頃から何度も辞めたいと思いながらも

ファン層の変化。私自身が、他の人と比べて

僻んで行く自分自身が嫌だった。

また人間の呆気なさを感じました。

辞めた今、失ったものはありましたが

プレッシャーだとか重たいものを

肩から下ろせたような感覚がしました。

 

この経験があったからこそ出会えた人達だったと思います。

 

最近強く感じることは、私もそうですが

皆んな ないものねだり ってこと。

音楽での話をすれば、リリースすれば

新境地を見せれば捨てたとか変わったとか

そのままであり続ければ変化しない

無いものを欲しいという。