Music over the World

日常の記録を書いてます。

音楽に救われた私と音楽を知った私。

2018年2月23日で22と1ヶ月になりました。
まさか20を超えるとは思ってもなかったです。3歳まで記憶が無くて、昔から何もかもができるようになること気づくことが人よりも遅かったのは覚えているし、言われていました。今も言われています。

 

小学校後半から中学の頃はゲームっ子、テレビっ子で半日のゲームは必須。夕方まで1日テレビをついてなければ生きてられなくて、帰宅すれば布団の中で泣きながら何かに怯え震えて生きていました。

 

学校では絵を描いているか、何かされた言われた記憶があるわけでもなく意味もなく何故だかわからないけど人前で泣いているか、して過ごしていました。おそらくこの感情の原因は3年毎に身近な人が亡くなることを見納めなければならなかったからだと思います。

 

レクリエーションでも修学旅行でも四六時中のようにたくさんの人に「どうしたの?」って聞かれました。人前でほとんど声が出せなかったため、何も答えられなくてよく困らせていました。

 

中学になると、身体の成長で親に服を買ってもらえなくなりました。絵を描くことが好きだったこともありデザイナーとか夢見たりして。特にファッションに興味があった時期だったので、この頃は色合いや特徴的なデザインに興味があったので欲望が満たされなくて引きこもりになりました。

 

この欲望はファッションゲームで抑え殺しました。学校と習い事以外では外に出なくなり、家族と一緒に買い物へも行けなくなりました。当然、人と正常に会話ができないため長い関係の友達もできなかった。青春とでもいうべき時期を引きこもりました。

 

中学卒業間近には、また1人身近な人を急に失いました。そして日本では東日本大震災という大きな地震が起きた頃でもありました。小学校の頃から何度も何度もテレビで、この地方で大きな地震がくる確率は90%以上とかとよく聞いていたので、自然災害が起きることで大人になることはないと思っていました。いや、それを望んでいました。

 

高校はとりあえず前向きに人の恐怖感を無くしたくて、まずは女の子を克服しようと引きこもりでもあるので直ぐに帰宅できる範囲•着てみたい制服の女子校を選びました。学校の選択は正解だったと今でも思います。


高校では縁あって沢山の優しい友人と出会いました。私のことを知っている人は数人になって、人と触れ合うことに奮闘していた高校1年はすごく楽しかったなあ。。

 

高校2年になってやっと人生で初めて、自分で自分のお金を使うようになりました。それまで親には「外に出る時にお金と鍵は持つな」と教わっていたので。


中学卒業間近で失った人の関係でそれは自然に解禁しました。人は失ってから成長する、気づくものがあるということはこういうことかと改めて思わされます。

 

自宅までの帰り道の範囲内で、コンビニに入ってお菓子を買ってみたり親に隠れて文房具とかファッション雑誌とか買ってみたり。。自分自身にとって、戸惑いながらも初めてだらけでワクワクしました。

 

高校3年になると、ただひたすらに頭が良くなりたいという願望で勉強をしていました。でも、頭が悪いからどんなに勉強してもできなかった。中学の頃からテスト前は父に泣きついていました。やり方が悪いんだって言われました。でもその時は、やり方の意味すら理解ができなかった。

 

特に英語を克服したくて、独学で溜め込んでいた教材を使って勉強しましたが限界が来てじっくりと吟味していた塾に行きたいと親に言いました。久々に素直に親に願望を伝えた時だったかもしれません。

 

クラスの違う高校1年から仲良くし続けてくれていた友人達には塾のことは内緒にして、居残りで少し教えた後に今日は早く帰ると伝えて塾に通っていました。塾に通い始めた結果、学年•クラス順位、成績も共に上がりました。これについては、通わせてくれた親と当時担当してくれていた大学生だった方にはとても感謝しています。

 

中学と同様に引きこもりのままで初めてだらけで、ただひたすらに頭が良くなりたいことしか頭に無かった私は、やっぱり行きたい大学や将来の夢なんて無くて。少しだけ英語が得意になっていたけどそれはその学校の中の世界でしか通用しないと思い込みました。

 

やりたいことを見つけるという意味で、幅広く学びたいからという口実をつけて現在の大学の学科に決めました。高3の時に仲良くしてくれた友人達全員が立ち向かっている中で私は楽な道を選び、時を過ぎるのを退屈で寂しくて待っていました。親に"あんたには絶対無理だから"と言われたから。

 

(最近になって、学校というフィールド外で出会った同い年や年下の娘達の奮闘する姿を見ていたらそんなこんなで経験しなかったことに後悔や罪悪感を感じています。)

 

教材の購入する過程で、iPotTouchを手にしていてこの寂しかった頃にYouTubeという存在は意識としてはハッキリせずに初めて検索していました。SEKAI NO OWARIを聴いていました。


いつの日か深夜番組で『眠り姫』が聴こえてきて印象強く残っていました。この曲をどうやったら知れるんだと思っていました。

 

転機は2013年『RPG』を聴いた時でした。何この曲っていうとにかく衝撃が。この時、初めて音楽という世界を知りました。狂ったように毎日『虹色の戦争』を聴いて見ていました。なんだかわからないけど死に対しての問いかける曲だからか当時は再生するたびに心が満たされました。(今はこの曲を聴くと病みに襲われます)

 

20を超えるとは思わず将来を考えずに選択した大学は、入学の時から明らかにここは違うという雰囲気を感じました。仲良くしたい人もいなかった。でも、自分ではどうしようもできなかった。このまま生きた心地せず生きていくのかな、、そんな時に出会ったのが7人のAAAでした。きっかけは2014年5月、ONE PIECEのオープニング曲『Wake Up!』でした。

 

1つ前の番組のドラゴンボールが父の影響で好きで毎週楽しみに見ていて、終わってからもテレビはつけっぱなしなので毎週どこかで聴いていたはずなのに何故かその日はもう一度この曲が聴きたいっていう衝動に襲われました。

 

画面は見ていないため、なんていう曲名なのかわからないし誰が歌っているのかもわからないし、とりあえずはYouTubeで手探りでONE PIECE オープニングと検索して記憶を頼りに模索しました。

 

次に、誰が歌っているのかと。やっと見つけたと思ったら、最初は何がなんだかわけわからなかった。
「えーえーえー?。歌ってるし、よく見たら踊ってるし。モデルみたいに綺麗な人たちが顔ドアップに映ってるし、男も女もたくさん人居るし、一人だけ違うテンポで歌っている人いるし、この人たちは一体何者…?」

 

今まで見たことがなかったキラキラした笑顔に衝撃的だったし、ミュージックビデオの青い爽やかさにも惹かれるものがあって、何度も聴きたくなるパワーがあった。何度も聴いているうちに、この人たちをもっと知りたくなった。その頃から私は毎日朝昼晩、頭の中がAAAのことでいっぱいになった。

 

テレビっ子だったため、CMで流れていた特に『SummerRevolution』(2009年)と『Charge&Go』(2011年)に聴き覚えがあってCM自体が印象が残っていたりして口づさんでいたりしたので驚いた。この人たちだったのか…!と。ますます一種の運命的なものを感じた。

 

そして5thAnniversaryの『Belive own way』のライブ映像を見た時に、この人達は本物だと思いました。撃ち抜かれたようなドクンとした感覚。ずっとついて行きたいって思いましたし、この曲は私の心の支えになりました。あと、このライブ映像を見て興味を持った人がいました。


一人だけ違うテンポで歌っている人…日高さんでした。AAAの『さよならの前に』と、日高さんのソロ名義というSKY-HIの『スマイルドロップ』が発表された頃。

日高さんが作詞作曲に強い思いがあることをどこかのインタビューで知りました。そして、デビュー当時から自分のパートは作詞していることを知りました。驚きました。大学1年の秋頃、AAAの曲の聴き方が変わりました。

 

そんな日高さんが何ヶ月ぶりに曲を出して、ソロでライブを行うことを知りました。「エスコートするので、何も知らなくてもいいので、安心して来てください。」

 

見た目ではなく歌詞に惚れた人のライブに言葉…行ってみたい…!でも、AAAのライブにも行ったことないし、引きこもりの私が本当に行ってもいいの…?楽しめるの?
すごく不安だった。1人で外に出かけることがほとんどないから、どうしたらいいのかわからなかった。

 

唯一1人、大学から仲良くなれた娘に相談してみた。その娘は「当たったら一緒に行こうよ」と言ってくれました。私の人生を変化させる後押しに繋がりました。

 

当日の2015年2月24日。大学1年の春休み。SKY-HI『Ride my Limoツアー 名古屋』
不安と楽しみが混ざって最後まで行くのを辞めようかとまで思いました。実際にライブが始まって、目の前に本人がいて本物って信じられなかった。ほんとに居たんだっていうレベル。

 

本人が言っていたようにエスコートしてくれて曲知らないのに不思議と楽しかった。こんなにも一体になれる空間があるなんて知らなかった。音楽って凄いって思った。

 

私が人生で初めてのライブ参戦と初めての有名人になりました。その時はまだ漠然と言っていましたが、現在では尊敬しているに値している人。今思えば本当に伝説的な日でした。

 

今では背中を押してくれた娘とは疎遠状態(私がその娘から離れることが、その娘の大切な時間やお金の使い方に繋がると考えたため)ですが、本当に本当に感謝しています。

 

そして次の転機は2015年3月上旬。日高さんの思いに、もっと作詞作曲している人達の音楽に触れたいなあ…って思っていた頃。ほとんどテレビを見ることがなくなっていたのに、その日たまたま見た朝の情報番組の特集。

 

「アイドルたちに混ざって週間オリコンランキングトップ5入り。バンド名の改名。メンバー全員が元会社員。長いインディーズ時代。作詞作曲は帰国子女のボーカルが全て行っている。」

 

そんなことがあるのか、!?
何なんだこの人達は!!
もう全てに対して衝撃的だった。

少しだけミュージックビデオも紹介されていて凄く鮮やかで全部雰囲気が違って好奇心が湧いた。


その日は生出演•生歌唱でロックバンドって勝手なイメージ、歌詞に意味を持たせずにただ楽器を鳴らすヴィジュアル系のようなイメージがあったため、

 

(テレビでは大きな母体集団やジャンルのアイドルのダンスボーカルばかりを見ていたためか、バンドという形態をしっかりと意識して目にしたのもこれが初めてだったかもしれない。)

 

こんなにも歌詞に意味があって懸命に歌って、普通に喋ると謙虚でスタイリッシュで。。こんなにもカッコいいロックバンドがいたんだ…


しかも、バンド名の由来を話す時に、アレキサンダー大王を掛け合わせたことと少しでもバンド名が先頭にくるようにという説明をする時に「AAAさんには敵わないですけどね。」と付けていたことが、めちゃめちゃ良い人たち…!!と人柄にも興味が湧いて[Alexandros]に一気に虜になりました。

 

その日から2年間ほど邦楽ロックというジャンルに夢中になりました。それから更に音楽自体に興味を持ちました。
入学当初はこんな人生想像してもなかった。音楽を楽しんでいる人生なんて考えてもなかった。今はこの大学に入ったから、出会えた音楽であり吟味したり没頭できる時間があったんだと思えます。


もしも出会えた時が、気づけた時期がもっと早かったら私の人生は新しいことに素直に挑戦していたかもしれない。

 

しかし、本当に3歳若かったとしたら、こんなにも多くのライブ参戦は体験できなかったかもしれない。この年齢と年度だからこそ今の自分がある。だから、これまでの自分自身の軌跡を否定することはしません。

 

そして、半年前の時点の自分は何も知らずにふと思い浮かべてた。半年後の今の自分は何も知らなくて子供だなと振り返る。LIVEを通した旅と卒論を介して、少しだけ大人になれた気がする。

 

音楽から音楽以上のものを学びました。今、それを超えて、半年前は理解できなかったことや新しい興味に少しずつ興味を持ち始めています。人ってほんとにわからない。将来ってどうなっているかわからない。

 

若いから異色の道に進めるし、少しだけ戻ることもできるけどお金を使ってまで何を学ぶべきかがわかりません。だから、今はまだ許された今持っているチケットを使いたいっていう思いもある。可能ならば。長く考えるつもりもないですが。

 

今は、やっぱりまだまだ色んなことに自信がなくて度胸がない。もう遅いって言われても、誰かに理解してもらえる人間ではないことは随分前から自覚しています。

 

自分がコントロールできなくて大学の先生に相談を受けていた時に「あなたは何でも自分で、できてしまう人」と言われた。その時、意味が理解できなかった。やっと今はなんとなく自分でもそんなような気もします。

 

オリンピックや、海外の生活を特集した番組を見ていて思いました。私が日本で生まれて、恵まれた環境の中で、今の時代に生きているのは何故だろうと。なんで今自分はここで生きているのか。と、ふと思った。

 

何か使命があってここにいるのかなとか。でもそれは何かわからない。わかる時はくるのか。自分は生きていてよかった、生まれてきてくれてありがとう。と誰かに言われる日はくるのか。

 

不意にでも死にたいと思っていた20年間。今日までの日を生きていてること。しっかりと20を超えたことを実感する今。きっと意味があって、これを達してからじゃないと死ねないんじゃないかとまで思うようにまでになりました。

 

急につい最近の話をしますが。

私が尊敬しているアーティストが「音楽をどうやって聴いていますか?」とファンへ話題提供をしまして。熱心なファンたちは自論と議論を展開していたわけですが。(まあ、この図もちょっと変わっているような気もしますが…)

 

その熱心なファンたちの反応を見ていて。私の人生を全否定されてるような感覚に襲われました。個人的な意見として、「無料で音楽を聴く人のことを何が何でも悪者扱いしようとするのはやめようよ。」って思いました。

 

しかし、その某音楽アプリを使用して安易にファンです!と名乗ること、はたまた直接アーティスト本人に報告することについては私もかなりの見当違いだと思います。

 

CDを買って音楽を聴くという環境下の家庭では無いため、デジタル化の波を伝ったことで音楽の聴き方や楽しみ方を知ることができました。

 

それから、私は沢山の新しいアーティストさんの存在を知ることができました。それによって、私自身の想像力とか興味関心がどんどん広がっていきましたし生きがいにまでになりました。人生までも救われました。
 
スマートフォンが普及したことは、音楽を無料で聴けることを身近にしました。それと共に、SNSまでも身近にしました。
この2つの身近によって、持続して長く長く活動できるアーティストを増やしましたし復活する者も現れました。

 

それは、情報の享受が多様化したことで成り立つったことだと思います。そして、多くの人が気軽にアーティストの存在を知れるようになった。

 

ライブ市場が好調を示し主軸となったことは、デジタル化によって無料で音楽を聴けるようになったことが少なからずは影響していると思います。テレビ出演がほとんどなく、元々ライブが主軸のアーティストにとっては好影響だったのでは?

 

ついこないだまで、ヒット曲や多くの人に聴かれている曲を判断する指標がCDの売上からYouTubeの再生回数へと変わったというのに、海外ではもう既にストリーミングの再生回数の指標へと変化しているんですよ。時代の流れの変化は早いとでも言っているかのような流れの速さです。

 

私自身は本命のアーティストさんは、基本的にはデジタルを単価で対価を支払って音楽を聴いているようにしていますし、他のアーティストさんは2年ほど前からアプリを使用して聴き慣れてしまえば消していました。

 

卒論が完成するまでは手段は選ばないと決めていました。今までもそれまでもひたすらに過去を知らずに生きている心地もなくただ呆然と生きてきた私にとって、清く正しくお金のことを考えて正当にやりくりしたとしたら過去も今も未来も時代の速度には敵わないと思いました。


今現代だからこそ選択できることを駆使して興味のあることから行動するしかないと判断したから。

 

そして完成に達してから数週間後の今、将来にリリースされる最新曲を知ろうということに対して罪悪感を感じます。これまでは既にリリースされた曲を中心に知ることで、世間一般の人の知識量にとにかく追いつくための取り組みをしていたため無我夢中に突っ走ってましたが。

 

mp3(音源)やmp4(動画)、ダウンロードやストリーミングの仕組みや意味を知り、これまでの日本の音楽シーンが1950年から現代まで私の中で繋がって理解できた私の今は"知っている"という身になったということです。

 

知っている身になったからとして、今すぐにス卜リーミングに課金しろってのは違うと思います。アメリカはCDショップはほとんど無くなり、ほか海外は海賊版に悩まされたり自由に音楽を聴くことができない国だってあります。

 

その中で日本は東京のCDショップ件数が世界第一位なほどで、まだまだCD文化は根強いため90年代のミリオンセラー続出の夢のような状況を成功しすぎたことで日本人好みの音楽が確立して、それをまた日本人は好み続けるから売る側はまだまだ憧れと夢を持ち続けている。

 

若者は無料で音楽を聴くことが当然と思っていて、00年代以前を生きている人達はCDを買う傾向にあると言われています。
加えて高齢化が進んでいるから、若者のみにターゲットを絞らずに全世代に愛され歌われる(今は踊れるかな?)良い曲を作ることでCDが売れたりするんじゃないですかね。。

 

デジタル化が進んでいない世界だったら、何事も利便化してないですし、自分にもアーティストの存在を知るまでにたどり着かないままだったかもしれないですし、難しい話ですよね。

 

熱心なファンではない限りは、アーティストにお金が行き届くかどうかとかそんな難しいことを考えること以前に、そのアーティストを知っているか聴いたことがあるか、アクションを起こしたことがあるのかどうかがせっかくの今の時代に重要な差だと思うんです。
人は体験してアクションして、知識を増やして、その時にやっと気づくものがあったりするんです。私はそうでした。

 

趣味•娯楽が音楽だけではない時代です。それだけ日本って幸せな国だと思うんです。聴く人と見る人が誰であるに関係なく極力、YouTubeで聴くことは多少の意味を持ってアーティストに還元されます。

 

だから私は少しでも出会ったアーティストさんたちへのせめての間接的な恩返しの気持ちでアーティストが公式で公開しているYouTubeの動画のURLを探しては貼り付り続けますよ!

 

最後に。私が尊敬するアーティストが、まさにこの内容の話のブログを昨日更新したので貼り付けて終わりたいと思います。(また先越されたのが悔しい…)

 

本当に深くて考えさせられた内容です。↓

 SKY-HI(AAA日高光啓) on Twitter: "ぶわーっと書いたので、追記や訂正あるかもですが、良かったら読んでください。 岡崎体育氏の件を見てて言わなきゃと思ったお金の話 https://t.co/jj6mqUloGa"

日高さんてやっぱり優しいなあ。って思って。。

日高さんこの機会に語ってくれてありがとうございます。お金の根本的な使い方と音楽との向き合い方が私の中で課題になってきそうです。

 

きっと私は明日、2月24日。1ヶ月後の明日、3月24日。に何かびびっと刺激されている何か変化があるかもしれません。。


今日という日に投稿が間に合って良かったです。(前半はあまり読んでほしくない内容でしたが…)最後まで読んでいただきありがとうございました!